ワタシシルベの出来事 · 24日 12月 2020
我が子も成人した今、クリスマスの存在感が随分と薄まってきたことを感じています。
今年はコロナウイルスのニュースばかりで、季節を感じる出来事がほとんどなくなり、毎年早く来るようになった年末のことに気を取られてばかりです。
これから、我が子が側にはいない日々がやってきます。暦や行事をこれまで以上に気に留めて生活するようにしてみようかな。。と浮かびました。来年の抱負にしますか☆
娘から、「お母さんが亡くなった夢をみてとても悲しかった」と今朝報告されました。
「そんな夢見たなんて~( ゚Д゚)」とたわいもない朝の会話も束の間、ばたばたと送り出し、朝の家事をこなしながら、夢の中で私が亡くなり悲しかったのと同時に、前向きにそれからのことを思う気持ちも湧いていてくれたかな。。。と少し心配な思いになりました。
いつか、夢ではなく本当にそんな日を迎えた時、悲しさと同時に、母親のいないそれからをしっかり力強く踏みしめていくスイッチもすぐに入れられる様になっていてほしいなぁと思った朝なのでした。
もう成人した娘が、自分でお気に入りの写真だけを選別しながら自分のアルバムを作りなおしていました。
「後は捨てていいよ~」とあっけらかんとした感じで私が撮り続けた写真達が紙袋一杯渡されました。
自分のものはどんどん捨てられますが、娘の幼いころの写真は本人がいらないといったものの、、、全然捨てられない~(*_*;
だって一人娘だし。。私の大事な記録でもあるわけだし。。
こんなに執着するなんて、、困ったものだな。と自分でとても驚きながらそっとその紙袋を私用スペースの押し入れ奥にそのままなおしてしまうのでした。
45歳の誕生日までひと月となりそうなこの頃。ゆるゆる断捨離気分が急にミニマリストへの憧れへと変化してきました。若かった頃はなかなかのやさぐれ女でしたが、整理整頓の日常が身近となっているシジュウ半ば。我ながら充実した人生となっている気持ちでニヤニヤしてしまいます。
いろんな自己開拓のきらきら本には断捨離と整理整頓はほぼほぼテッパンになっていますが、確かにこれは本当だ。と身をもって感じているのです。
私だってミニマリスト☆と言えてる日を夢見て幸せな日常を過ごしますっ☆
ある日、ご年配のお父さんがゆいごん書を作るお話が決まりました。なかなか文字を書くのは厳しい状況もあり、公正証書遺言に決め、公証役場へ向かう当日、お耳が遠いお父さんへ、娘さんが耳元で「わからん。って言うのはだめやとよ、おとうさん。わかる?」と大きな声で数回言われるのですが、全て「わからんわからん」と答えるお父さん。「えー大丈夫ですかね、、、」ととても不安そうな娘さんと公証役場へ。証人の私と一緒に公証人の前に立たれたお父さんは、先ほどの様子が嘘のように、「どうぞ宜しくお願い致します。」と大きな声で挨拶をされ、公証人とのやりとりもとてもスムーズに行われました。公証人との対面から、凛とした姿と雰囲気を出された様子に、責任を持つ父の力なのかな、、、と感動したのでした。
遺す者への大事なお役目として取り組まれていたのだなと心から思った出来事でした。
3月13日は母の誕生日です。そして母の命日は11月17日。
母が他界してからも母の誕生日は母を想う日となっています。
私も娘に同じように想い出してもらえるのなら、思わず微笑むような出来事を沢山準備しておきたいなぁ。
と考えた母の誕生日です。
6月が誕生日のワタシは44歳も下半期に突入しています。
この歳は幼馴染の友達や学生時代の友達からのお誘いや連絡が入る年となっている感じです。お盆前後には急に小学校のころの写真がラインで送られてきて、「ワタシ、自分のアルバム整理し始めちゃったよ。(笑)」というコメント付きでした。
そこからそれぞれ同時期くらいになんとなく昔の写真を写っている友達へ「懐かしいのあるよ」とコメント付きで送りあうという44歳女達の妙な遊びが行われたのでした。
そして、その出来事はすっかり日常の中忘れていた気持ちを味わえることになったのでした。
先日、朝の番組「ワイドなショー」で、「100日後に死ぬワニ」という4コマまんがの紹介がありました。
「死」を意識しながら過ごすこと、「死」を考える事、について出演者のかた、ダウンタウンの松本さんがそれぞれの考えを話されて、私も「ですよね、ですよね」と共感しました。命が消えるその日を知りたいか。という質問に、その日ではなくて季節とか時期は知りたい。と話した松本さん。男性は社会のなかでも役割があるので「死」もスケジュール調整のことがよぎるものなのかな。と、男性の大変さと同時にかっこよさを感じました。
ワタシの母は、大腸がんを発症し、癌の切除後、3か月に一度定期的に検査に通いました。我が家は家族でコンビニエンスストアを経営していて、シフトの調整をしながら、病院への送迎や付き添いをすることができ、家族それぞれが他に勤務先が無かったため、父は旦那様として、妹はしっかり者の二女として、私は父とこれから歩むことになるであろう長女として、じっくり母と過ごせていたと思います。
そんなある日の母の一言です。
「まさかコンビニなんて仕事をする予定はなかったけど、この時の為に、神様が人生の転機を与えてくれたんだわ。家族と毎日こんなにいれる時間をもらえて、私ほど幸せな晩年はないわねぇ」と通院中の車内で言いました。母の母であるからこそのすてきなポジティブ小話です。